さとについて (やまとたちばな)
みかんの故郷・穴師の歴史は約2千年前に遡ります。
第11代・垂仁天皇に「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」と言う永遠に香っている果実と言う意味の名を持つ「不老長寿」の霊薬を求めてくるよう常世国(とこよのくに)に遣わされた田道間守(たじまもり)が10年もの歳月を経て持ち帰ったが、既に天皇は崩御された後。彼の忠義に感銘を受けた第12代・景行天皇が先代の宮及びご自身の宮周辺にこの木を植えて育てることを人々に勧められた。との逸話が伝説の神木「非時香菓」の話しとして『日本書紀・古事記・万葉集』等に記されています。
その後、穴師の里の人々が丹精して代々の天皇に献上されるようになり、歴代天皇に愛され、大切にされた非時香菓は、次第に大和橘(やまとたちばな)と呼ばれるようになり、宮殿にも植えられ長寿瑞祥の樹として珍重されました。そして平安京の内裏にある天皇元服や立太子などの儀式が行われていた京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」を模している伝統的な雛飾りにも「右近の橘・左近の桜」が同じように飾られ親しまれ今日に伝わっています。
こうして栽培が始まった大和橘が日本の柑橘の祖と言われ、「みかんの里・穴師」の歴史が始まりました。しかし、みかんの里の始まりとなった橘はいつしか時の流れの中に埋もれてしまっていました。
「かむなびの郷」は、みかんの里を守り、みかんを育てて来られた先達や記紀に記された故事に敬意を表し、この地で「やまとたちばな」を栽培し、「たちばなの里」を復活させたいと願い念じて2013年「たちばなの里・復活プロジェクト」をスタート。2018年、第1期目標の1,000本植樹を達成し「たちばなの里・復活」を宣言しました。
未来を展望し、病虫害の危機回避の意味合いも含めて栽培地の拡張と生産本数の増加にも取り組んでいます。